やはり、勝ちパターンのようなものは複数必要である。
万能な投資法は恐らくないので、状況に見合った投資方法を使い分けて勝ちを拾い続けるようにいかねばならないと思う。
勝ちが保障されているわけではないから、投資に関しては筆者も逃げ出したいほど怖いと思う時もある。
怖さがなくなれば危険だとも思うので、これは必要なことなのだろう。
自分の財産を賭けて勝負する。単なるギャンブルになってはいけない。
そこは投資の投資たる所以である。
精神力を絞り出して、戦うのがこの戦場なのだと思う。
やめる自由はいつでもある。なのに踏みとどまるということは、戦場に居続けることなのだ。
その意識を忘れるとリスクに気づかなくなる。それが大敗を招くのだ。
それもまた、誰かの食い物にされるということである。
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安く買って高く売るか、高く売って安く買うか、そのどちらかが勝ち方である。
だが、買った株があがるかどうかはわからないのである。だから怖い。
胆力はいるとは思うが、怖さを覚えない人はこれもまた投資には向かない。
株価の変動にはいろいろな理由があるし、いろいろな波長の波がある。
毎日株式市場を眺めるというのも難しいので、まずは銘柄を決めてチェックして見るといい。
ニュースの内容と株価の関係もなんとなく見えるようになれば、もう実践するほかない。
恐怖をねじ伏せるの前に、投資理論を形成しなければならない。これは自分のルールである。
勝っても負けても、このルールどおりにならねばならない。それができる胆力が必要だ。
まず、特定の銘柄の株価が安い、中間、高いのどこに属するか言えるレベルになるといいのではないだろうか。
とにかく知恵と勇気を支えてくれるのは知識だけである。
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筆者はこの本も少し参考になった。
どう感じて、どう使うかは自分の問題だが、戦いに言い訳はきかない。勝つために真摯に努力するほかないのである。
ビギナーズラックというものはあるかもしれない。
だが勝ち続けるのは難しい。
株価の変動には法則性があると考えられていて、その法則に従えば勝ち続けることができるというのが投資理論である。
バフェットの理論であっても、それは当てはまる。業績が同業他社に比して圧倒的に良い会社の株価は上がり続けるというところか。
もちろん、相対性がそこにはあるので、一つの銘柄の株価が恒久的に上がるということではない。
そして下がる理由もちゃんと知っておかねばならない。
負けを認めて損切りをする理由も自分の中にちゃんとなければならない。
とにかく、株は複雑な要素により絶えず変動する。それが難しいとあきらめる人は投資をすべきではない。
安易な理由で踏み込んだとしてもそこから学ぶことができる人は、最後には勝てるかもしれない。
株価が変動する新たな理由が日々出来ているかもしれない。負けることは恐れなければならないは一つの勝負の勝ち負けにこだわってはいけない。
理論の検証には時間のサンプル数が必要だ。
過去からの株価の動きで検証は金をかけずにできるかもしれない。
とにかく投資理論のルールを決めたら、そこから外れてはいけない。それを守れる人が勝つべき人なのだ。
投資をしない人は、先に最悪を考える人に多いだろう。それと難しいから敬遠するということもあるだろう。
ある意味、その人たちは負けることはないので、正しいとは言える。
別の角度から見れば、「勝ち」を奪い合う競争率を下げているとも言える。
いろいろな意味で人は楽に慣れてしまっている。だから楽して勝ちたいと思うのはそんなにおかしなことではない。
ここで生き(勝ち)残る人は、ちょっとの努力で、そういう人から「勝ち」を奪うことを考えているからであろう。
バフェットは株価は会社の評価であることを第一に考えるので、あがる材料とか下がる材料とか言う前に、その株券が優良な有価証券かどうかが大事といっているように感じられる。
ところが短いサイクルの中では、業績なんかより何かの材料で株価は変動してしまう。その波で儲ける人もいる。
つまり相手にしている対象が違うのである。
食物連鎖の階層のようなもので、虫を食べる動物の上に動物を食べる動物がいる。
虫が増えるかどうかのレベルもあれば、どの動物はどれくらい安定してその地に君臨できるかというサイクルで考える人もいるわけである。
もちろん、正解が何かという質問は愚問に過ぎない。
勝った者だけが正しく、負けた者だけが間違いなのだ。
投資理論は不安に負けないための武器である。武器を持たぬものはやがて敗れ去る。
その自然の摂理はここにもある。努力を惜しまない人がいることを忘れてはならない。
そして努力した人ほど、「努力していない」ということも忘れないほうがいい。
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