さて、第7戦を開始している。
今のところは若干の評価益である。
これは第3の投資理論のデビュー戦である。
投資理論的には第2理論の延長戦にあるが、銘柄の選び方が、ちょっとバフェット氏の本を読んだ影響が出ている。
バフェット理論で儲けたければ相応の資金が必要である。
資金のない者は、同じようにやることができない。だから頭を使って考える。
自分にもできる方法があるはずだと考える。
試してみて評価するしかないし、1回の結果ですべてが決まるわけでもない。
されど勝てればいいなあと思う。感情はそう言っているが理論は感情の外に置かねばならない。
淡々と勝ち、淡々と負ける。最終的にプラスが出ていれば、いい運用ができているということである。
もちろん良さには程度があるのだが。
上を目指すのは必要だが、身の丈を知り少しずつ上げていくしかない。
結果が出るまではまた「思考する時間」である。
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さて、第6戦の勝利で動きのなかった第5戦の株を損切りした。収支はプラス側なのでまあいいだろうと思ったら、売った株が上がりだした。
思わず嘘だろうというつぶやきが出たほどである。
まあ、すでに第7戦を開始しているので、それはまたの機会に譲るとして、今回の主題は、売った後に上がるという奴である。
恐ろしくよくあることである。
これを「損した!」と表現する人がいる。
負けても損した、勝っているのに売った後に上がるとまた損したという人である。
こうなると、その人は損をし続ける感覚の中にずっといることになる。
完ぺきな勝利以外はすべて「損をしている」ことになるのは危険な思想である。
完璧な勝利を目指せば目指すほど、ただの勝ちに満足できなくなる。
このような考え方をする人は投資に向いていないと筆者は思っている。
まあ、結果そうして損をしてくれる人がいるから、こちらに上がりが回ってくるのではあるが・・・。
ここは戦場である。全員が勝者になることはない。
誰かの負け分の中に、勝者の勝ち分があるのである。
唯一インフレになれば全員が勝つかもしれない。だが購買力の面では負けている人が出ているはずである。
だから、売った後の株価上昇は「ついてなかった」ぐらいにしか思わないことにしている。
もう、終わってしまった勝負は何をしても結果は変わらない。そんなことに考える時間を費やすのは無駄である。
次と今だけが考えるべきことである。
毎日、いくつかの銘柄の株価をチェックするだけでその銘柄の波がわかってくる。
動きの下限のようなものが見えて、それに近づいている時間はわくわくする。
もちろん、もっと下がるかもしれない。
そう思う人はやらない方がいい。
損をしない方法は何もしないことである。これは真理だ。
リスクを取って投資するから利益が帰ってくることもある訳で、上がると思うから買うのである。
どんな状況を自分がどう捌いて、その時どんな決断をするのか。
それが正しかったかどうかは、時間の経過が教えてくれる。
私が待つのは勝つためである。
その時に勝負に出られる状況を作ることから勝負は始まっている。
怖さを覚えないようでは見込みがない。怖さで何もできないのであれば向いていない。
この戦場はそうやって数多の人々をふるい落としてきた。
戦い続ける胆力がなければならないのである。
投資のウリとカイ以外の時間、すなわちマチの時間は思考する時間である。
何をしているかというと、目を付けた銘柄の日々の株価をチェックしている。
そんなものネットでチャートを見ればすぐにわかることだといわれそうだが、今起きていることを想起しながら今日の株価を見ることは、後からチャートを見るのは違う。
上がるべき時に上がるのか、幅はどう変わっていくのか、買うとしたら、いくらを切ったときか、日々チェックしていく。
この積み重ねがあるから、勝負に出られるのである。
所詮過去は過去であるが、それが与えてくれるものは大きい。
何の保証もないし、他人に教えられるほど責任を持ったことも言えない。
ただじっと見続けるから、自分の中の何かが、「ここだ」と言ってくれる。
なんとなく、初めて見た銘柄をチャートだけで買おうとするわけではない。
戦場において戦略と戦術なくして勝利はない。
判断ができないのは情報が足りないからである。
その情報を得ることが本当の投資家の仕事かもしれない。
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