・一攫千金の夢
一攫千金を夢見る人が多いのは当然のことですが、宝くじを買うことは否定しませんが、宝くじを買っているから、私の将来は安泰とか考えることはありませんよね。
結局、あてにできるようなものではないわけで、計算が立たないものを経済活動として、特に収入の予定には入れられません。
・ギャンブルに夢を見てはいけない
ギャンブルをしたいなら、カジノに行って一日100ドル稼ぐのを続ければいいのです。勝てる保証はないですが、資本金さえあればかなりの確率で稼げます。
ルーレットの赤黒などの2倍になるもので、最初に100ドル賭けて、負け続ける限り次々と倍額を賭けていけば、どこかで1度勝てば100ドル手に入ります。これを繰り返せば、1年で300日通ったとして、3万ドルになります。まあ、一攫千金どころか夢も希望もないただの作業ですから、楽しくもないことになります。
・投資とは地味なもの
投資によって財産を成した人も、たった1回の投資で大きな財を成したケースは極めて稀で、多くは繰り返しによって財を成しています。要するに一攫千金のように見えてもそれはとんでもない数の投資を繰り返すことでなしているかもしれないということです。
結果だけで見て、派手な面に思考を奪われてはいけません。何も捨てずに何かを得られることは稀なので、計算が立つようなものではないと考えるべきでしょう。
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・経済には2種類ある
経済活動には2種類あります。ひとつは労働に代表される自分の何かをお金と交換していくことで稼ぐ経済活動です。もうひとつは、投資などの働く部分は他人に任せて、そこに投資して、利ザヤや配当を得る経済活動です。前者は労働者、後者は資本家という区別がなされます。
・足し算の経済
労働者の行う「働く」という行為は労働力を時間いくらで売って、対価を得る行為であり、安定した収入が見込めるという利点があります。ほとんどの人間がこの活動の結果で得た対価で暮らしていると言えるものです。安定という利点はありますが、稼ぐ力は小さく、大きく稼ぐというものは向いていません。
・掛け算の経済
規模の経済とも言えますが、投資の額によって配当金を大きくしたり利ザヤを大きくできたりする経済活動です。この活動の利点は大きく勝てることですが、欠点は元本すら保証されない活動ということです。
投資の市場に挑む者は9割が失い、1割が得るとさえ言われます。何かに投資しているとも言えますが、実は他人とお金を奪い合っている訳ですから、リスクが高いのは当然です。どう生きるかとどう稼ぐかはある意味同じです。慎重かつ大胆に、生きていきたいものです。
・狩猟と同じ
罠を仕掛けて、獲物を待つがごとく、狙った株価に届くまでじっと待つという感じで、待っている間に、時間が立ってしまいました。
されど、戻ると踏んでいるので、ここは待つべきと考えています。
・時間をかけるのは
損切して資金を儲けることに回すのも戦略としては正しいと思います。しかし、それ以外が間違いと考えるのでは、戦術の幅が狭くなってしまうと思っています。
勝つまで粘るのも戦術だし、どこかで乗り換えるのもまた戦術です。固執するのではなく、現状のベストを常に考えることなのでしょう。
・地味に動く手もあるが
地味に動く手もあります。小さな波で少しずつ取り返す戦略もあるとは思います。何がベストなのかわかるわけではないですが、自分が信じた道を歩むほかありません。
勝てば良いわけで、勝ち方にこだわるつもりはありません。さて、まだ粘るべき時というかんじでしょうか。
・なぜ戦いが必要なのか
円安だと、米国株を買うのにお金がかかるのです。だから少しでも安く買って配当金をもらう際には円安だとたくさんもらえるので良いです。
つまり安く買って高くもらいたいわけですから、こうした戦いが必要になるのです。
・円安でも円高でも
どちらにも良い点と悪い点があり、状況に応じてそのメリットを活かすことを考えればいいということだと考えています。
日本の物価高騰は止まるはずはないので、当然続くと思っています。
・金融政策から考えて
緩和政策である以上、金利ではなく量で緩和しようとしているなら、円安、物価高は行きつく先として当然なのです。給料が上がらないことだけが不自然なのです。言ってしまえば経営者に能力がないからということになるのかもしれませんし、別の理由があるのかもしれません。
ただ、個人として社会と向き合い何をして生きていくかは考えるべき、何が正解かはわかりませんが、行動してみるのが良いと考えています。
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