・ついに来年は
来年になると自分は大きく変化がやってきます。
定年になるということは、さらに収入が減ることを意味します。その現実が来年やってきます。覚悟はしていても、現実となるとどうなのかはまだわかりません。
・生きるだけでは
結局、先立つものがなければ生きていくことはできません。お金のために生きているだけでやっととなってしまうのも、悲しいことです。
生きるとは、ただ生きながらえることではないと個人的には思っていますが、何がいいのかもわかりません。でもやはり楽しみは+αの部分に多くあるように思います。
・どう死ぬか
結局、どう生きるかはどう死ぬのかであり、働くことはほぼ生きることです。そうでない人もいるとは思いますが、結局必ず死ぬわけで、衰えることも、不自由になることも、生きるの形の一つです。だから自分と向き合って、良い稼ぎ方を構築していきたいと思っています。
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・当たったので
今回は、即日で売りました。そうしたら上がっているようです。
うまくいかないものですね。
まあ、それでも僅かばかりの儲けになりました。これも勉強ですが、IPOはそこまで魅力的かと言われるとそうでもないかもしれません。
・今回でひとまず検証は終了
とにかく、売りそこなった1回目と無事に売れた2回目で、トータルは負けてしまいましたが、こういうところで、うまくいかないとダメなのだと思いました。
さて、投資として魅力があるかどうかがポイントですよね。
・抽選狙いはこれでおわり
抽選に当たることを狙うのはこれで終わりにしたいと思います。
そうではなくて、初値を付けた後、上がるものを見定めて投資できればおいしいかもしれません。
やり方を少し考えてみたいと思います。
・今年が終わると
来年には定年となる筆者は、再雇用されても収入の激減という流れには逆らうことはできません。
そうなると、どう生きるかとどう稼ぐかは同じ意味合いに近くなります。
収入の柱は多いほど良いのです。
・計算できる収入を
とはいえ、稼ぎとして計算が立つ収入というのは難しいもので、働く以上に計算が立つものはなかなかありません。
お金に働いてもらうとしても、大きな稼ぎになるためにはもっと大きな元手が必要だし、リスクも相応に背負うことになります。
・どうあっても
しかし、稼ぐことは生きることなのです。なので、どう生きるかはその個人が選択するしかないのです。だから、投資により稼ぎを生み出すと決めた以上、それを本当にしていくことが必要です。
勝つまでやるしかないわけですが、どうあってもの気持ちは大事だと思っています。
・結局はお金を使うために
お金を貯めても使い切れないのでは意味がないし、だからと言って日銭にも困るようでは生きるのが大変になります。でも使える分以外のお金はなくてもいいはずなのです。
・問題はいつ死ぬのかわからないこと
結局は、いつ死ぬかわからないし、それまでにいくら掛かるかわかりません。それが不安を呼ぶわけです。
まあ、ある分だけ生きるということになるのでしょうね。
・とりあえずそのために今は
結局、今できることは稼ぐことしかありません。貯えをある程度作らないとどうなるかわかりません。まあ、いくら手にしても結局は出ていくのです。だから、自分が使い道を決められるお金が増えれば楽しみが増えます。なんというか、そういうものなんだと思っています。
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